ベガの墜落


Astro-E2

星形の型抜きを買おう。
めまぐるしい思考の中で、ふとそんなことを思いついた。
きっと、喜んでくれるから。
きっと、また笑ってくれるから。






























七月は、とんでもなく多忙だ。
この忙しさは、師走にも匹敵すると思う。
期末試験は苦にならないが、何故だかやらなければいけないことがたくさんある。
高校三年の七月。
例年より、考えなければいけないことが多すぎる。

生徒会の前期決算(我が校の部活動のモチベーションが高いのは感心だが、この時期ばかりは忌まわしい)に始ま り、来学期の文化祭(去年は自分が実行委員長だったために引き継ぎがある)の準備に、七夕もある。

七夕は本国では馴染みのない行事だが、スザクに教わってからは、毎年ナナリーと三人で短冊を飾ってささやか に楽しんだ。
今年は夕食に何を用意しよう。
華やかな散らし寿司も捨てがたいが、手間をかけて五目の稲荷寿司も良い。
それから野菜を星の形に切ったスープも準備したい。
天の川が見えないナナリーにも、溢れるような星を降らせてあげられるように。
生憎星形の型抜きはキッチンにないから、早いうちに探しに行こう。
デザートは未定だが、これも星に纏わるモティーフを入れるべきだろう。
だが夏は菓子作りに最も厳しい季節なので、何を作るか頭が痛い。
チョコもバターもクリームも、瞬く間に溶けてしまうのだから。

その次の日には、シャーリーの誕生日がある。
プレゼントはナナリーと相談して、涼しげなアンクレットを既に買ってあるので解決済みだ。
生徒会のメンバーでのパーティーは九日にあり、そのためのケーキをリヴァルから頼まれている。
やはり夏場なので、生クリームの類は避けてシンプルなレアチーズケーキにしようかと考えていた。

(…それから)

さらに次の日は、スザクの誕生日だ。

(七月十日。七月で、一番大切な日)

生徒会のパーティーが九日なのは、シャーリーとスザクの真ん中バースデーだからだ。
去年までは『楽しいこと至上主義』の生徒会長ミレイ・アッシュフォードの意向で、シャーリーとスザクの誕生 日をそれぞれにサプライズで祝ったが、今年は生徒会長を引き継いだシャーリーの「私とスザクくんの誕生日は 一緒にやっちゃおう!ケーキ二つも食べたら太っちゃうもの」という一言で九日のパーティーに決定した。

準備を全員で行うというのもシャーリーの案で、彼女らしい考えが好ましかった。
レアチーズケーキを選んだのは、スザクが好きなケーキだから。
けれどプライドに懸けても、恋人の誕生日を仲間内のパーティーで済ませる訳にはいかない。
問題は、まだプレゼントすら未定なことだが。

(だけど、喜ばせたい)

真剣に、考える。
他のことなど考える隙もない程に。
脅迫観念にも似た思いで、必死に。

(考えろ考えろ考えろ。止まるな、…止まるな)

焦燥感で思考が詰まり絡まる。
恋人を想うにしては不釣り合いの感情も、目を瞑りすべて知らない振りをして。
七月は多忙だから。
余計なことを考える必要など、ないんだ。

「…ルルーシュ?」

はっと顔を上げる。
生徒会室の向かい、スザクが困ったように首を傾げた。
今日は、珍しく二人だけで居残りだった。
夏至を過ぎてまだ間もない。
窓の外、傾いた太陽は、雲の裾を眩しい蜂蜜色に染めていた。

「僕の分、終わったよ?」

「…っ、あ、悪い。俺のが、まだ…」

「珍しいね。はい、半分貸して。何か考え事?」

「いや?少し集中してなかっただけだ」

「そっか」

平静を装うと、スザクは新緑色の瞳を穏やかに細めた。
俯いたの彼の首筋が、残照に照らされる。
色素の薄い髪が透けるようにきらきら光り、そのまま柔ららかく空気に溶けてしまいそうだ。

淡い淡い浅葱色の空には、白んだ一番星が登っていた。
今日は梅雨には珍しい快晴だったから、爪で擦れば消えてしまいそうな薄い月も、よく見えた。
安寧な昼が終わってしまうと、じりじり焦りが増す。

(そうだ、)

引き戻された意識は、簡単には戻ってこなかったようだ。
思考は、生徒会室よりはるか遠くにある。

(スザクの誕生日も、野菜は星の形にしよう)

とりあえず、スザクの誕生日のことがひとつ決まって安堵した。
それは食事のメニューですらなかったけれど。
ペンを止めたまま、スザクの指先を、光に曖昧になる輪郭を、かすかに伏せた睫毛の奥を。
それから何故だか張り詰めたような口もとを、じっと見つめた。

(喜んで欲しいから。とてもとても大切だから。何より愛しいから)

いま優先させるべきは、スザクだ。
そっと、誓うように胸の内で呟く。
甘そうな蜜色の日溜まりがあまりに優しくて、泣きそうになった。
そしてやはり、俺はそのことについてどうしても自答したくなかった。









*









結局、資料の片付けまでほとんどをスザクに任せきりになってしまった。
少しの罪悪感から、いたたまれずに席を立った。

「すまなかった、な。待ってろ、せめてお茶を…」

「ううん、いいよルルーシュ」

「だが、」

「それより、ね。僕の話聞いて」

強引ではないが有無を言わせない仕草で袖を引かれた。
ざわりと砂を噛むような不快な胸騒ぎがしたが、この指を振り解くことは出来ない。
離したらもう二度と掴めなくなる気が、した。
おかしなことばかり考えていたせいだ、と自嘲してみせても、呼吸が浅くなるほどに緊張する。

「なんだ?ああ、誕生日プレゼントのリクエストなら、」

わざとらしい、と自分でも思った。
余裕ぶった表情を貼り付けて、からかうように笑ってみせても、舌が乾いて上手く回らない。
解放された腕の先で、手のひらから熱が消えていくのがわかる。
スザクは微苦笑を浮かべて、きっぱりと首を振った。

(やめろ、やめてくれ)

視線を逸らした先には、高くなった一番星が見えた。
それはとても小さくて白くて、なんて軽薄は星だと俺は下唇を噛んだ。
鼻腔の奥が、痛い。




















「別れよう、ルルーシュ」




















酷く優しい声をどこかで聞きながら、星形の型抜きのことばかり考えていた。
切り抜くであろう、宝石のように色とりどりの野菜や果実を思い浮かべながら。
口に入れてしまえば一瞬で消失してしまうそれは、馬鹿みたいに儚くて脆い。
けれど見たい笑顔のためなら、どんな手間も厭わないのに。

スザクはたった一言を告げ深く微笑むと、返事も待たずに生徒会室を出て行った。
まだ明るい空が、なんて憎い。
彼がすぐに戻ってくると信じたくなるほど、日差しはあたたかく柔らかいままだ。

「…型抜き、明日には買いに行かないとな」

小さな呟きは誰にも届かず、一筋の涙とともに部屋の暗がりに落ちて消えた。
祈りを込めた星たちも、墜落して砕け散った。
六月の、最後の金曜日のことだった。

2009/7/10