先生と僕


先生と僕

気まぐれな可愛い黒猫さん。
そっぽ向いてちゃ悲しいから、ほら、こっちを向いてよ。

















































「ルルーシュの学校の試験、明日からだよね?」

「はい」

机に教科書とノートを広げていた少年が振り返る。
その拍子に、癖のない細い黒髪がサラサラと流れた。
この綺麗な子は僕の教え子で、僕はルルーシュの家庭教師だ。
と言っても、会社を通した派遣ではないし、もっと正しく言えば僕は彼の先生ですらないかもしれない。
夕暮れに沈む公園で本を読んでいた時、「僕の家庭教師になって下さい」とルルーシュに声をかけられたのがキ ッカケで。
それは、僕が大学に進学して一人暮らしを始めてからすぐのことだった。

「テスト終わったら、二人で遊びに行こうか」

家庭教師、というのは実は名目上だ。
ルルーシュは中学に上がると同時に、お母さんの マリアンヌさんから、塾に行くか家庭教師に教わるかの二択 を迫られたらしい。
もともと聡明で、勉強も独学で十分と考えていたルルーシュは、それなら、と“共犯者”を探し、偶然見掛けた 見ず知らずの僕を抜擢して契約した。

契約内容は、簡単なものだった。
僕は勉強を教えず、雇われている二時間の間、マリアンヌさんを納得させるために、ルルーシュと一緒に勉強し ているフリをする。
最初の一時間はルルーシュの勉強にあて、後半は僕のサークル活動にちょっと協力してもらう。

こんな内容だから、僕から頼んでお給料は相場の半額にして貰っている。
僕たちは先生と生徒と言うより、そんなギブアンドテイクの関係だ。
だけどルルーシュは今回の試験勉強を、すごく頑張ったと思う。

「ルルーシュ、今回の試験随分頑張っただろう?ご褒美があっても良いくらいだよ」

ちょうど僕もレポートが終わってキリが良いから、と誘うと、ルルーシュは白い頬を紅潮させて「行きたい!」 と勢いよく返事をした。
彼は普段大人びてるけど、こういうところは年相応で本当に可愛い。
どこか行きたいところある?と聞いたら、即答された答えは予想外のものだった。









*









「ルルーシュ、そりゃ僕はあまりお金はないけど、遊園地や映画館くらい連れて行ってあげられるよ…?」

「良いんです。僕はここに来たかったんだから」

困惑しながら道案内をすると、ルルーシュはにこにこと嬉しそうに言った。
ルルーシュは試験をほとんどの教科が見事トップクラスだったらしい。
僕は何もしてないけど、思いきり褒めてあげた。
そのご褒美に出掛ける約束も、確かにした。
けれどもルルーシュが行きたいと言ったのは、ルルーシュの家からもそう離れてはいない、僕の通う大学だった。

「それに、ルルーシュは学祭にも来てくれたじゃないか」

自分より年下の子に気を遣わせたのだろうか。
ああ、情けない。
でもルルーシュはそれで構わないと言い張った。

「先生が通ってるままの学校が見たいんです。学祭だと、普段の雰囲気がわからないじゃないですか」

ルルーシュは優しい子だなぁとしみじみ思う。
きっとそんなことを言いながらも僕のお財布を気にしてくれたのだろう。
でも確かに彼は知識欲が旺盛だし、将来のために大学見学をするのもルルーシュにとっては良いことなのかもし れない、と僕は思い直す。
アトラクションも何もない退屈なところだけど、せめて楽しく案内してあげようと、僕は心に決めた。

中学生には珍しいだろう大きな講義室や、実験棟、欅並木が続く裏道を案内する。
幸い今日は土曜日で、大学構内にほとんど人はいなかった。
さらにうちの大学は老人ホームや幼稚園が近くにあって、普段から地域の人達の散歩コースになっているため、 僕とルルーシュが二人で歩いていても、おかしな組み合わせには見えないようだった。

「それでね、この教室でいつも授業する先生がすごく変な人で、授業中ずっとスピーカーで音楽かけてるんだよ」

「嘘、そんな変な授業本当にあるの?」

「本当本当!先週はシューベルトで、その前は沖縄の民謡だったんだから」

「あは、本当に変な先生ですね」

「うん。毎回苦情が来るんだけど、先生は一向に気にしないんだ。『まったく、これじゃ音楽がちゃんと聴けな いじゃないか』って。耐えきれなくて、学生みんなで爆笑。一体なんのための授業なんだろうねー?」

「あはははは」

ルルーシュは終始機嫌が良かった。
僕がいつも座る席にある変な落書きを見せたり、大学の教授のあまり似ていないモノマネや、 大ホールであった騒動や、面白かっ たことを懸命に伝えると、面倒くさがる様子もなく、至極嬉しそうに相槌を打ってくれた。

「…ルルーシュお腹減った?うちの学食、結構美味しいんだけど行く?」

「はい。行ってみたいです」

時間もちょうど良い頃で、僕たちは食堂に向かった。
僕は竜田揚げ定食で、ルルーシュはカレーうどんを選んだ。
あまりこういった食堂に来慣れていないだろうルルーシュに、トレーの場所と注文の仕方を教えると、戸惑いな がらも注文出来たようだ。
せめてもの気持ちで、学食は奢らせてもらった。

「美味しい?ルルーシュ」

「はい。それにすごく楽しかったです」

カレーうどんは好物なのか、ルルーシュは一生懸命咀嚼していて、見ていてとても可愛かった。
午後はどうしようかと、ふと時計に目をやった時、聞き慣れた声が自分の名前を呼んだ。
と、同時にどーんとデカい図体が肩にのしかかる。
回された腕で首は絞まるし、結構、重い。

「あっれー、スザクって土曜日授業ないんじゃなかったけ?何してるんだ?補講か?あ、サークルか!?」

「ジノ…おはよう…」

わんわんわん、構って構って、わんわんわん。
自分をいまだ子犬と勘違いした大型犬が、耳元でうるさく吠える。

「違うよジノ。今日はこの子を案内してたんだ」

ほら挨拶して、とルルーシュの方へ促す。
ルルーシュはジノと目が合うと、すぐにお辞儀をして挨拶をした。

「…ルルーシュ・ランペルージです」

まったく、どっちが年上だか。

「ああ、噂のスザクの教え子だな!俺はジノ・ヴァインベルグ。スザクとは学科とサークルが同じなんだ。よろしく な」

人当たりの良いジノは、自己紹介をすると、僕の頭に顎を乗せたまま、その大きな手を差し出した。
ルルーシュも愛想は抜群に良い。
それこそ別れた直後に相手の悪口を言うことがあっても、外面だけは抜群だ。
だから僕も安心して見ていられる。
…はずだったのだが。

「………よろしく」

ぶすっと無愛想にそっぽ向くと、食器を片付けようと席を立とうとした。
僕は慌ててルルーシュを引き止める。

「そ、そうだルルーシュ!僕たちのサークルの部室に行かない!?多分ルルーシュの興味ある本とかあると思うよ っ!」

僕とジノが所属しているのは、推理小説研究会だ。
僕は極度な怖がりのためミステリーには疎いが、四月に学科で知り合ったジノが無断で僕の入部届けまで出しし まったため今に至る。
一方、ルルーシュは大のミステリー小説好きだ。
家庭教師の時間の半分は、実は僕(とルルーシュの趣味)のためのミステリー小説講義になっているほどだ。
急に態度が変わったルルーシュに、なんとか機嫌を直してもらおうと僕は必死に提案した。

「ああそうだな!活動アルバムに学祭でスザクがコスプレした写真もあるし」

「ちょっとジノっ!?」

が、僕の心遣いを踏みつける馬鹿がいた。
ルルーシュは半眼で僕らを眺めると、とうとう食器を持って立ち上がってしまった。

「僕帰ります。今日はありがとうごさいました。…食器はあっちで良いんですよね?」

「る、ルルーシュ!?」

すたすたと歩いていくルルーシュを追いかけるため、まだ引っ付いていたジノを乱暴に引き剥がす。
こんな聞き分けのないルルーシュは初めて見た。
どうしたんだろう、何か気に障ることをしてしまったんだろうか。

「…っ、ルルーシュ!」

ようやく追いついて、その細い手首を掴む。
ついて来ようとするジノを宥めていたら、ルルーシュはもう校門の手前まで来ていた。
何を怒っているのか、顔も合わせてくれない。

「ルルーシュ、どうしたの?君らしくないよ。それに、あんな態度取ったらジノにだって失礼じゃないか」

ジノ、と言った時、掴んだ手首がぴくりと反応して、思いきり僕の手を振り払った。
ルルーシュからそんなふうにあしらわれるなんて考えたこともなかったから、僕は目を白黒させるしかない。
ルルーシュは憤りもあらわに、じっと僕を睨みつけた。

「先生」

「ん?なあに?」

「…例えば、明日僕が試験だったとして」

「え?ルルーシュ昨日でテスト終わったんじゃ…」

「いいから」

「…はい」

とてつもなく厳しいルルーシュの雰囲気に気圧されて、口が挟めない。
でもきっと、聞くべきことなんだろうと真剣に耳を傾ける。

「同じ日にサークルの集まりとかがあったとして、スザクさんはどちらに行きますか…?」

彼に名前で呼ばれたのは、初めてだった。
でもそれより、不安に掠れたような声と、ルルーシュの少し震えた肩が気にかかる。
ふっと目を細めて、僕はルルーシュの頭を撫でた。

「ばかだな、ルルーシュ」

僕は勉強を教えないんだから、もしも試験があったとしても僕はなんの役に立たない。
だけど、そうだとしても。
ルルーシュは、僕の大切なたった一人の生徒なんだから。

「君が必要としてくれるなら、僕は必ずルルーシュを選ぶよ」

わしゃわしゃと絹糸のような髪を掻き回す。
僕よりも大分背の低いルルーシュは、おとなしくされるがままになっていた。
プライドが高い彼のために、泣きそうに赤くなった目元と、熱くなった耳朶には、気付かない振りをした。
この気まぐれな猫が、もう逃げ出さないだろうと確認して、スザクは校舎と逆の方向を指差した。

「学校の裏にね、美味しいって評判のクレープ屋さんができたんだ。でも僕、行きたかったんだけど機会がなく てさ。よかったら、このあと付き合ってくれないかな?」

「し、しかたないから、付き合ってあげ…ます」

つんと澄ました横顔にぷっと吹き出したせいで、せっかく機嫌を直しかけたルルーシュの眉間には、また皺が寄 る。
唇を尖らせる仕草が可愛いので、あまり怖くはなかったけど。
はあ、と大きな溜息を吐いて、ルルーシュは僕が指差した方へすたすた歩き出した。

「あ、待ってよ!…そういえばさ、ルルーシュ何を怒ってたの?」

もしや、実はカレーうどんが口に合わなかったのだろうか?
ルルーシュ、食事に対しては結構口うるさいところがあるし。
きっと美味しいと言ったのは、僕に気を遣ったのだろう。
そこにジノみたいな喧しいのが来たら、彼のような箱入りさんは気分が悪くなるに違いない。
僕が一人納得していると、ルルーシュは一旦立ち止まり唖然としたように口を開いたが、そこからはやっぱり深 い溜息しかこぼれなかった。

「…先生は、ミステリだけじゃなく恋愛小説も読むべきだと思いますよ」

「…へ?」

しなやかな猫のように、ルルーシュは身を翻す。
そうしてさっさと歩いて行ってしまったのを、僕はまた慌てて追いかける。
そのせいで、彼の言った言葉の真意は結局聞けず仕舞いだったけど。
最後に見たルルーシュの微苦笑はどこか大人びて見えて、何故だか僕の胸の奥に強く焼きついた。

- fin -

2008/12/8

坂/木/司の『先生と僕』パロ。