先生と僕3
教室の喧騒に耳を傾けることなく、少年は窓の外を眺めていた。
若葉が何かに似ているような気がして、そればかりを考えていたから。
友人と喧嘩をした。
それも、今まで一度だって口論をしたことのない相手と、だ。
相手の言葉が、頭の中で何度もリフレインする。
そんな年上が好きなんて、不毛だよっ!!
どういう会話の流れだったかは、大半を聞き流していたルルーシュは実際よく覚えていない。
ただ、唐突にされた質問だけが鮮やかに反芻される。
好きな人はいるの、と。
咄嗟に口をついたのは「年上の人」と本当は隠しておきたかった真実で。
手酷くからかわれたりしなかったのは幸いなのだけど、普段は明るくて朗らかシャーリーが急に気色ばんだのだ。
「7歳も年上の人にルルなんて相手にされるわけないよ!」と、酷い言葉をたくさん重ねられた気がする。
彼女があまりにも興奮したせいで、人の恋路の行方や噂話で浮ついていた昼休みは思わぬ冷や水を浴びせられて
終幕となった。
シャーリーはその場にいた先輩に宥められて落ち着いたようだったけれど、何故彼女があんなふうに怒ったのかルルーシュ
は結局わからず仕舞いだった。
シャーリーは正義感が強く曲がったことが嫌いで、いつだってまっすぐあろうとしていた。
人の悪口だって、自分からしているところなど一度も見たことがないくらいだ。
そういうところが、とても好ましいと思える友人だったのに。
呆然としたまま、口が達者な自分が一言も言い返せなかったことは、午後の授業が始まってから気付いた。
だけど、そのことについてルルーシュが驚かなかったのは原因はわかっていたからだ。
『そんな年上が好きなんて、不毛だよっ!!』
非難の言葉のひとつひとつが、針になって胸を刺す。
叫び声のようなシャーリーの声が、ずっと耳から離れない。
(だってそんなこと、僕が一番わかってる)
先生が、好き。
今月の誕生日で、先生は19歳になった。
あの日、おめでとうございますと言いながら、あまりに遠く思える年月にルルーシュは泣きそうになった。
それでも希望はあるって信じたかった。
大人になれば、きっと先生も自分を見てくれるって。
脇目も振らず追いかければ、いつか届くって。
初めての恋くらい、馬鹿みたいに信じたかったんだ。
だからシャーリーの言葉で、思い知るのが怖かった。
痛いのは、きっと誰だって怖い。
届かない想いに縋って、高く高く飛んでしまい、いつかイカロスのように蒼穹から落下するのは嫌だった。
それでも、今更この気持ちに蓋をすることも、出来るわけがない。
どうしていいかわからなくて、呼吸の仕方すら忘れる。
苦しくなる肺と胸を誤魔化すように、ルルーシュは下唇をきつく噛んだ。
「ルルーシュ、今日集中してないね」
「え………?ああっ!!」
唐突にスザクに声を掛けられて、ルルーシュはようやく今が家庭教師の時間だと思い出す。
勢いで立ち上がり、椅子ががたりと品のない音をたてた。
慌てて椅子を直そうとするのに、どうしても上手くいかなくて余計に焦った。
「す、すみません先生っ、」
「いや僕は勉強を教えるわけじゃないから構わないけど」
確かに家庭教師というのはただの名目上だけれど、この時間はルルーシュの勉強時間であることは確かで、その
間に呆けるなんて失態でしかない。
ルルーシュのベッドに腰掛けたスザクは、困ったように苦笑した。
「…すみません」
「ううん、謝らなくて良いよ。ただ、悩みがあるのかなって」
「………」
「頼りにはならないかもしれないけど、もし僕で良ければ悩み事なら何でも聞くよ?」
読書をしていた本を伏せて、スザクが首を傾げた。
ふわふわの癖毛が揺れるのを、切ない気持ちで目で追った。
優しくて深い声音に、ルルーシュはうっかりすべてを吐露してしまいそうになる。
だけど、言えるはずはない。
あなたに恋するなんて不毛ですか、なんてこと。
「…何でもないです。ちょっとぼうっとしていただけですから」
「そう?」
「はい」
「うん、わかった。じゃあなんにも聞かない。だけど、言いたくなったら電話でもメールでも良いから連絡ちょ
うだい。僕なら、いつでも待ってるから」
「はい…。ありがとう、ございます」
スザクは子供の嘘なんて見抜いているくせに、こんな時だけ物分かりの良い大人の振りをする。
ルルーシュの頭を撫でる手は大きくてあたたかい。
嬉しいけど悲しくて、決して涙腺が緩まないように、ルルーシュは俯いて目を閉じた。
*
シャーリーと顔を合わせるのは気まずかったけど、だからと言って義務教育は放棄出来ない。
いつも通りに学校へ行くと、シャーリーが教室の扉の前にしゃがみこんだいた。
昨日の今日だったけど、体調でも悪いのかと心配になって自分から声を掛けた。
「おはよう、シャーリー。どうかしたの?」
「お、おはよう、ルルっ!あの、えっとね、昨日のこと謝ろうと思って」
上げた顔は目元が赤くて少し寝不足に見えるけど、体調不良というわけではなさそうで安心した。
どうやら、ここでずっとルルーシュを待っていたらしい。
立ち上がると制服のスカートについた埃を払い、彼女は深く頭を下げた。
「昨日は酷いこと言って本当にごめんなさい!」
「…え」
「昨日ミレイさんにも怒られたの。誰かが誰かを好きになるのってとっても素敵なことだから、私が口を挟んじ
ゃいけないんだって…。私ね、わかってるんだけどあの時わかんなくなって、八つ当たりしちゃったの。…ごめ
んね、ルル」
「…僕が間違ってたわけじゃない、の?」
「違うよ!わ、私が勝手に傷付いて怒っただけなの!だからルルは悪くないのっ。悪いのは、」
私、と唇だけが音もなく動き、じわりとシャーリーの瞳に涙が浮かんできて、ルルーシュはわたわたと慌てた。
まっすぐな彼女が、自分自身を傷つけるような言葉は聞きたくなかった。
けれど同時に、自分の気持ちを否定されなかったことに酷く安堵した。
シャーリーはハンカチを手渡す前にごしごしと拳で涙を拭うと、いつものように晴れやかに笑った。
彼女に似合う、春風みたいな明るい笑顔だった。
「それにね!恋はパワーなの!!好きになればなっただけ、それは絶対自分の力になるんだから!好きな人がいて
、自分のことを信じられれば、きっとなんだって頑張れるんだよ!」
ガッツポーズをすると、真っ白な歯が小さくこぼれた。
きらきらと、彼女はとても眩しい。
おそらく、シャーリーも誰かのことをとても好きなんだろうなと直感した。
だから彼女はこんなにも強いのだろう。
「私も、がんばる!だから、ルルもがんばって!!」
彼女自身を奮起させるような力強いエールが、まっすぐルルーシュの胸を射る。
行き詰まっていた迷路に風穴が開いたみたいだった。
届かないかもしれない想いも、不可能に近い恋も、彼を想ってはこぼれた涙すら、自分の糧になるなんて考えた
ことはなかった。
(好きでいて、良いんだ)
そう、思えただけで世界は変わった。
ブレーキなんて知らない。
想いが叶わないなんて、信じない。
「あ、ありがとう、シャーリー!」
「えへへ、どういたしまして」
初夏の空。
若々しい銀杏の葉が緑風にそよぐ。
色濃く高く、しなやかに伸びてゆく。
それを見つめながら、ルルーシュは知る。
とどまることを知らず広がる青葉は、自分の恋心に似ているのだ。
- fin -
2009/6/8