FLOWERS
私の心はあなただけにあげる。
他の誰にも見せないまま、この恋に殉じるわ。
願わくば、あなたも同じでありますように。
「ねえスザク、この花を知っている?」
庭先のポットに垂れ下がる色とりどりの中輪の花弁にちょんと触れた。
深い紅色から夜明けのような藤紫、秋の雲に似た白い花、フリルに縁取られたピンク。
他にも溢れるほどの花が咲いていた。
良く見る花だったけれど名前は知らない。
スザクは首を横に振った。
ルルーシュは優しく笑う。
「花の名前なんて、紅茶と一緒。別に知らなくても良いの。おいしければ、美しければ、本当はそれで構わないんだから気にしないで。
でも、知っていて欲しかったのよ。私は好きなのよ、ペチュニア」
ペチュニア。
初めて聞く名前だった。
そもそも花の名前なんてほとんど知らない。
ルルーシュが好きだと言うなら覚えておこうと、そっと声には出さずに復唱した。
「たくさん色と形があるでしょう?ペチュニアは品種改良が盛んで、それこそ、ない色なんてないくらいなの。
…特に戦前の日本は、ペチュニアの超先進国だったのよ。種苗メーカーだけじゃなくてね、酒造会社、タバコ会社とかのバイオ技術が得意な産業が次々新しい品種を作ったの。
ほら、この品種はね、日本のビールメーカーが作ってオールブリタニアセレクションって言う、最も権威ある花の賞を取った花よ。前代未聞よ、そんな経歴。でも今は、世界中で愛されてる」
「知らなかった。まさか日本お酒の会社が花を作るなんて。すごいね、なんか面白い」
「ね。でも日本人は器用で繊細で、こういうことが得意だった。私は知っている。こんな美しい花を作ってくれたこと。だから、好きよ」
「…うん、ありがとう、ルルーシュ」
「さあ、少し冷えてきたから部屋に戻りましょう。お願いしたいこともあるから、一緒に来て」
「うん」
ルルーシュは部屋に一輪だけと言って、ペチュニアをそっと摘んだ。
二人でゆっくり話をするのは、再開してから初めてのような気がした。
めまぐるしい一週間だった。
一日目。クロヴィスへのスザクの紹介から、ルルーシュが勝利するまで数時間におよぶ争議。
二日目。各種書類整理と衣装合わせと、スザクの総督府内への転居手続きに追われた。
三日目。ルルーシュの副総督就任式当日。朝の式典から夜の華やかな招宴まで、一番忙しい日だった。
四日目。ルルーシュが体力の限界を迎え高熱でダウン。
五日目。スザクはランスロットのの訓練の他に、騎士心得としての座学が課せられた。
六日目。スザクがナンバーズだったことを理由に携帯電話を所持していないことを知ったルルーシュが悲嘆し、急遽お揃いの携帯電話を購入。
六日目。ルルーシュは政庁、スザクは特派での訓練と離れ離れになったが、仕事の合間にルルーシュとスザクは他愛ないメールを送りあった。
七日目が、今日。
ルルーシュにとって久しぶりの休暇だったはずだ。
けれどランスロットの訓練が終わるまで待っていてくれた。
結局、スザクはルルーシュの就任式と同時に騎士を拝命することは出来なかった。
クロヴィスを説得し納得させるのに、せめて正式な騎士就任式は先送りにするように、というのが条件だった。
ルルーシュもスザクもお互い傍にいられるならそれで良かったから、それを飲んだ。
事実上の騎士ではあるが、周囲の見解は皇女殿下の護衛程度だ。
それでも今は、それぞれが立場に見合った勤勉さで働くことが最善だった。
ただルルーシュのための仕事に何ひとつ携われないことに、少しの寂しさと焦燥を感じていた。
ルルーシュは自室に戻るとまず、花を小さなグラスに活けてベッドサイドに置いた。
望めば部屋を満たすほどの花だって贈ってもらえる立場なのに、こういう控え目なところは昔から変わっていない。
「ルルーシュ、お願いって、なあに。僕、君のためなら何でもするよ」
「うん。あのね、スザク、勉強と訓練ばかりで、あまり騎士としての仕事がなかったでしょう?だからね、公務じゃないけど初めての仕事をお願いしたくて」
ぱっとスザクの顔が輝いた。
あまりに喜ぶから、「大したことじゃなくてごめんね」とルルーシュは苦笑して、カラフルな小瓶がたくさん入った籠をスザクに手渡した。
「…マニキュア?」
「そう。でも邪魔だから手にはしない主義なの。その代わりに、スザク、ペディキュアを塗ってくれる?」
「イエス、ユア、マジェスティ」
ルルーシュはベッドの淵に腰掛けた。
スザクはその下にかしずいて、ルルーシュの靴を脱がせた。
視線で促されたので、わずかに迷ってからスカートを捲り、ガーターベルトのホックを外してストッキングも足から抜いた。
ペチコートから覗く大腿の内側と下着からは、なるべく目を逸らした。
「何色を?」
「スザクが選んで」
にっこりと微笑むルルーシュは美しい。
迷ったけれど、ルルーシュが今日摘んだ花の色と良く似た濃いフューシャピンクを選んだ。
艶やかなラメがよく似合いそうだった。
しかし蓋を回す前に躊躇って、ルルーシュを見上げる。
「…ねえ、今さらだけど僕、自分にだってマニキュアもペディキュアも塗ったことないんだ。上手に出来ないかも」
「下手でも良いわ。公務では爪の出るサンダルは履けないから、どうせ誰にも見えないんだから」
いたずらでもするかのように笑うルルーシュに諦めて、スザクはその華奢な踵に手を添えた。
白く細い脚だ。何も塗っていない爪すらも真珠みたいだった。
「スザク、私のペディキュアは貴方が塗って欲しいの。これからずっとよ。それがね、私からのお願い」
「ルルーシュが望むなら」
ささやかだけど、初めての仕事に胸が張り裂けそうなほど嬉しかった。
震える手で小さな刷毛を握り、左足の親指にようやくエナメルを塗る。
人差し指。中指。薬指。小指。
緊張に詰まった息を吐き出してふと顔を上げると、ルルーシュの泣き出しそうな顔があった。
どうしたの、と声を掛ける前にルルーシュが遮るように口を開く。
「ごめんね、スザク。私が貴方にあげられるものはこれで全部なの」
「全部?」
「そう。貴方を励ますための小さな花と、立場を守るためのささやかな仕事と…あとひとつだけ」
か細い声を静かに聴きながら、刷毛をエナメルの液体に沈める。
恭しく右足を手に取り、同じようにペディキュアを塗った。
慣れてきたのか滑らかに筆を動かせるようになってきたようだった。
「会いたかった、スザク。遅くなってごめんね。一緒に来てくれてありがとう」
「うん、僕も会いたかった」
「…あとひとつあげられるのはね、爪先。スザク以外には見せない、この爪先だけ。たった、これだけなの。これだけしか、ないの」
エナメルを乾かすために息を掛けると、指先がかすかに揺れた。
ルルーシュは腕を伸ばしてスザクの髪に触れた。
霧雨みたいな優しい触れ方だった。
「愛してるわスザク。ずっとずっと、想っていた」
ルルーシュの告白はきっとペディキュアに溶けている。
色を選ぶように、スザクに選択させているのだとようやく気付いた。
騎士としての忠誠。
幼馴染としての友情。
それ以上の、愛情。
例えどう答えても、変わらず守り、傍にいてくれると、ルルーシュは教えてくれている。
スザクは迷わずペディキュアで飾ったばかりの爪先に、それから足の甲にキスをした。
溶剤のつんとした匂いに酔ってしまいそうだった。
(崇拝と忠誠のキス)
ルルーシュが息を止めて悲しむ気配がしたが気にはとめない。
次にスザクの髪に触れたままだった手をとり、その甲にもキスをした。
(友情を込めて)
ルルーシュと同じ目線になるように、片膝をベッドに乗り上げる。
スプリングがわずかに軋む。
そして、驚いて丸くなる瞳が覗ける位置にまで近付いた。
ルルーシュはくちづけられた手を大事そうに胸の前で握っている。
その手を解いて、自分の指と絡ませた。
「ルルーシュ、それだけで良いよ。それだけくれたら、僕はもう死んだって良いくらい嬉しい」
「スザク…」
「でも全部ちょうだい。ひとつだけなんて選ばせないで。ルルーシュの、全部が欲しいよ。ルルーシュが思うより、きっとずっと僕は強欲だ」
お互いの前髪が触れるところで囁く。
そのままベッドに押し倒すと、長い黒髪がシーツに広がった。
惑って潤む瞳と火照った頬がひどく扇情的だ。
うっすら開いた唇が、触れて欲しそうに赤らんでいる。
スザクはベッドサイドのペチュニアを手に取って、ルルーシュの唇にのせる。
花弁を食むような様子があまりにも綺麗で、その唇をなぞる。
熱くなった吐息が指先をくすぐった。
「…ね、ここも僕のものにして、良い?」
意地の悪い質問に目を伏せて、それでもルルーシュは頷いた。
花を手折るような背徳感に長い睫毛が震えたようだった。
絡み合った手が知らず汗ばんでいる。
スザクはそのまま、花びら越しにキスをした。
蜜の匂いのする甘いキスだった。
- fin -
2000/10/03
ペチュニアの花言葉:あなたと一緒にいると心から和らぐ