スカイラグーン


PHOTO CLUB

私は空を飛びたかった。
青い青い空に手を伸ばして、鳥みたいに自由に。
見詰めた。焦がれた。祈った。
私は、ただ空が好きだった。

















































長い長い階段。
静謐な最上階のその先には、やわらかい日溜まりの揺れる出窓があった。
聞き慣れたグラウンドの喧騒も、いつも喧しいブラスバンドの演奏も、ここから はとても遠い。
そして、ここは少しだけ空に近かった。

彼女に聞いていた通りだ。
だからきっと、彼はここにいる。
扉のプレートには、ルルーシュ・ランペルージと記されていた。
間違いない。
私は拳を振り上げて戸を叩く。
返事はない。

「………」

再度強く扉をノックした。
中からは微かに音がするので、無人というわけではなさそう。
私は諦めずに戸を叩き続けた。

「なんなんださっきから!」

奥から苛立たしげな声がした。
同時に、勢いよく扉が開けられる。

「鍵なら持っているだろうっ、スザ…ク、」

「記録」

カシャ、と機械音がして、携帯電話の四角い画面に、開かれた扉の先が収まった。
眦を吊り上げた美しい人が、それはそれは間抜けな顔をしていた。









*









「人違いは謝るが、君は中等部の生徒だろう?何故こんなところに来る必要がある」

「アーニャ・ストレイム」

「…アーニャ、だから何故ここに」

「ナナリーの」

「え?」

「アーニャはナナリーの友達。ナナリーのお兄さん?」

開けゴマ。
魔法の呪文とは本当に存在したのだ。
私はそのたった一言によって、その部屋に入る権利どころか美味しいミルクティ まで手に入れてしまった。









「それで、アーニャはどうしてここに来たんだい?」

あったかくてほんのり甘いミルクティは冷えていた体をじんわり温めてくれる。
ナナリーの名前を出した途端、ルルーシュの態度は面白いくらいに軟化した。
ナナリーの言っていた通りだ。
この場所も、彼のいる時間帯も、すべて彼女に教えてもらった。

『部屋に入れてもらえないようなら、私の名前を出して下さいね。きっと、入れ て下さいますよ』

そう笑ったナナリーは、普段のおとなしさからは信じられない、悪戯を企む子供 のような顔をしていたことを思い出す。

「これ、欲しいの」

携帯電話の待ち受け画面を相手に見せる。
三枚の写真が横に並んでいる。
それを見て、彼は納得したようだった。

「ああ、学園祭で出した写真か。これを見てここに?」

「そう」

「写真に興味あるのか?さっきから携帯で写メは撮ってるみたいだが」

「わからない。でも空と記録は、好き」

「へえ。面白いな。悪くない」

ルルーシュは薄く笑いながら立ち上がり、棚に手を伸ばした。
整頓されたファイルから、数枚の写真を抜き取る。

「ほら、これだろう?」

「…小さい」

けれど差し出されたのは、手のひらに乗るサイズのモノクロ写真だった。
確かに私の見た写真はこれだったが、もっと大きかった。
不満を込めてルルーシュを睨むと、困ったように苦笑された。

「悪いが、学園祭で出したものは、人にあげてしまったんだ。これじゃ駄目だっ たか?」

「焼き増し、して。おっきいのが欲しい」

「焼き増し?出来ないことはないが、すぐに欲しいのか?」

頷くと、なら少し待っていろと言って、ルルーシュはまた違うファイルを取り出 した。

「…お店じゃないの?」

「自分で写真を焼くための写真部だからな」

私はそもそも写真はデータとして保存するものだと思っていた。
フィルム写真などとうに滅びたものだとすら。
そんな絶滅危惧種は、当然専門家に任せるものだとも。
それを自分でやるなんて、とても素敵だ。
作業をするルルーシュの手元を興味津々で覗き込む。
勿論、携帯電話で記録に撮ることは怠らない。
何やらいくつもの配線を繋ぎ、何やら何種類もの薬品を準備して、何やら大仰な 機械にネガを挟んでいた。
要するに、私にはさっぱりわからなかった。

「アーニャ、電気を消すから携帯はしまえ。光が入ったら失敗するから」

「わかった」

言われた通りに、私は携帯電話の電源を切る。
携帯電話の電源を切るなんて、これを所持してから初めてかもしれない。
それでも、誰とも繋がらない不安より、興味が勝った。
私は真っ暗な闇の中で、そっと目を伏せた。









*









あの日、私は喧騒と熱気に疲れて、逃げるように校舎の最上階を目指していた。
私はこそで、それを見つけた。
学園祭はとても楽しかった。
たくさんの面白いもので溢れていたから。
メモリの許す限り、私は『今日』を携帯電話に詰め込んでいた。
けれどいつまでも続くお祭り騒ぎに、少しだけ静かな場所に行きたくなった。
出来るなら雲の上、と言いたいところだけど、それは無理なのでひたすら階段を 登った。

ふと見上げた壁に、三枚のモノクローム写真が飾られていた。
両端は空の写真。
それは深くてとても鮮やかで。

途端に、私の両の目から涙が零れた。
ぽろぽろと止まらないそれに視界がぼやけても、決して視線はそらさなかった。
ねえ、人間は空を飛べないなんて、誰が言ったの?
空と空の間で、一羽のペンギンが愛らしく泳いでいた。
まるで、大空を飛んでいるかのように。



「I can fly」



私はひっそりと掲げられたタイトルを、胸に刻むように何度も何度も呟いた。
細い声は、嗚咽と歓喜に震えていた。









*









電気を消したあとのことは、まるで魔法だった。
ほんの数秒光を当てただけの真っ白な紙が、液体に浸すと像を結ぶ。
これは君にあげるよ、とルルーシュに言われて、胸が詰まるくらい嬉しかった。

「…あなた、魔法使い?」

「はは、そんなんじゃない。写真は計算と経験と技術だ」

「じゃあ、私でも、出来る?」

「ああ、出来るよ」

心臓がドキドキしてる。
こんな気持ちになったのは、学園祭のあの日以来だ。
人間は空を飛べないと、何度も大人に諭されてきた。

















「ねえルルーシュ」


だけど、空は飛べる。絶対に。


「ん?」


彼は、私に翼をくれる人なのだから。


「私も写真、やってみたい」



















驚いて見開いた紫電の瞳が、とても綺麗だった。
初めて写真を撮るなら、この宝石にしようと決めて、私は緩やかに微笑んだ。

- fin -

2008/8/18

あなたのくれる翼なら、私は太陽だって怖くないの。