アダムとイブが出逢う確率


運 命 論
※シュナイゼル×ルルーシュの描写が若干ありますので、苦手な方はご注意ください。

運命など信じない。
けれどもしそんなものが存在したとして、思うことはただひとつ。
もしもあの電話に出なければ、きっと運命は変わっていたはずだったのに、と。

















































普段は乗るはずのない電車は、見事なまでに満員だった。
春の盛りは過ぎ、そろそろ初夏と言っても遜色ない気候だ。
朝から他人のじっとりとした肌を触れあわせるなど不快でしかなく、ルルーシュは身を捩り、そっと眉を顰めた 。

そもそも自宅から徒歩通学の自分が電車に乗らなければならないのは、兄の責任だと一人憤慨する。
昨日シュナイゼルは電話口で、仕事の手伝いが必要だと言ってルルーシュを呼び寄せた。
なのに結局は夜更けまでセックスに付き合わされただけだった。
それだけならいつも通りのことなので想定内だ。
だが、彼は今朝に限って仕事があるとかで、愛の囁きに似た、胸やけするほどの甘い言葉だけを残して、ルルーシュを自宅に送 り届けることもせずさっさと家を出たのだ。

(本当に仕事があるなら、そちらを優先するべきだろうが!あの愚兄が!!)

昨晩はかなり無理のある体位を取らされ、腰だけではなく肩まで痛むのが、余計にルルーシュの苛立ちを助長さ せた。
兄、と言ってもシュナイゼルは腹違いの兄だ。
モラルに反してはいるのだろうが、身体の関係があったとしてそれが社会に開示されない限りは問題だとは感じ ない。
もともとシュナイゼルは男女関係なく関わりを持つルーズな性癖の持ち主であったし、ルルーシュに至っては女 性に対して性欲を感じない。
双方がそれに気付いた数年前から、この関係が始まった。
それからルルーシュはシュナイゼル以外の男も知ったし、今では何人かセックスフレンドと呼べる人間もいるが 、彼との合理的で手軽な関係はなかなかに清算出来るものではなかった。
しかし散々シュナイゼルに甘やかされてきた自分が軽んじられるのは業腹で、ルルーシュは胸のうちで兄に対す る罵詈雑言を有らん限り並べたてた。
そうして気を紛らわせているうちに、学園の最寄り駅の一つ前の駅名が平坦な声音でアナウンスされた。

(…なんとか間に合うか?)

電車の扉が開き何人かが外へ流れ、少し空いた隙間を縫って腕時計を確認する。
シュナイゼルの車を当てにしていたせいで、結局今日は始業チャイムにギリギリのラインになってしまった。
ほっと息をついたのもつかぬ間、絹を裂くような叫び声に思わず顔を上げた。

「痴漢!痴漢がいます!!」

白地に赤いカラーのセーラー服の少女が、毅然と声を上げる。
途端に朝の気だるさを残して眠たげだった車内がざわついた。
けれど、わざわざあんな脂肪の塊を撫でさするなんて、ルルーシュにとっては理解不能だった。

(まったく、ご苦労なことだな)

痴漢に遭った少女への憐れみというよりは、痴漢を働くあさはかな男への侮蔑を込め、嘲笑を浮かべて傍観を決 め込む。
そして何事もなかったように、扉の方へ視線を戻そうとした。

「この変態!!許さないんだからっ!」

「は?………ほわっ!!」

その時、腕時計を見たまま行き場をなくしていた腕をがしりと強く掴まれ、ルルーシュはそのまま扉の外まで連 れ出されてしまった。
ふわりと、癖の強い髪が鼻先を掠めた。
あまりに唐突な出来事に足はもつれ、握り締めた指は振り解こうにも存外力強く容易には出来そうになかった。 手首はじんじんと鈍い痛みを訴えている。
そのまま呆然として、電車の扉が閉まるのを眺めた。
ホームに残っている人々の視線が痛いほどに刺さる。
少女は手首を一層強く拘束すると、すうっと息を吸い込み「駅員さぁーん!」と、こちらの耳を裂かんばかりの 伸びやかな大声を出した。

「…おい」

「このおじさん痴漢でー………………あれ?」

「………」

「………」

「誰が、おじさんだって?」

「………え、へへ。間違えちゃった?」

「生憎、俺はおまえなんかに興味はない」

低い声で、目の前の自意識過剰な少女を凄む。
冤罪とは言え、衆目の前で痴漢の罪を着せられたのだ。

(ああ、醜態だ…っ)

ようやく緩んだ手を乱暴に叩き落とし、改札口へ向かう。
駅員はすでにこの騒動が誤解であると理解したようで、話しを聞くこともなく自分の仕事に戻ったようだった。
だがこの微妙に張り詰めた空気の中で次の電車を待てるほど、神経は太くはない。
一駅歩いていたらもう一限には間に合わないが、今はとても平然と授業を受ける気にはならなかった。

「ま、待って…!」

改札を出ても、少女はルルーシュを追ってきた。
頭を冷やすために一人になりたいというのに、これでは喧しくてかなわない。

「ねえ、あの、ごめんね!」

「………」

癖毛に埋まる赤いカチューシャが上下に忙しなく動く。
同時に、見るからに豊かな乳房が重たげに揺れていた。
長いリーチに追いつこうと、少女は懸命に足を動かしているようだったが、そんなこと構うものか。

「手がね、ドアの方に動いたから本物の痴漢と勘違いしちゃったの!本当にごめんなさい!」

「………」

「あ、謝ってるんだからちょっとくらいこっち向いてよ!もうっ!」

「………」

「え、やだ、もしかして怒った?調子乗ってごめんなさいー!」

「……………はあ」

飽きることなくきゃんきゃんと付きまとわれ、さすがにどっと疲労感が押し寄せてくる。
燃えるような立ち葵の咲く公園の脇で、ルルーシュは重く溜息を吐いてピタリと立ち止まった。

「疲れた。少し休む」

「…!うん!!」

足止めに制服でも引っ張るつもりだったのか、伸ばされていた手が素早く隠された。
代わりに、少女は翡翠色の瞳をぱっと煌めかせて勢いよく頷いた。
悪戯好きの子犬のような仕草は、少女というより少年らしく、ルルーシュは思わず微笑をこぼした。

「あ!あのベンチで待ってて!!」

それだけ言うと、短いスカートを翻して少女は自動販売機まで駆けて行った。
不本意ながらもルルーシュは言われた通りベンチに腰かける。
中途半端な時間なせいか、公園には誰もいなかった。
騒がしい少女が少し遠のいただけで、驚くほどの安寧が訪れる。
蝉が鳴くにはまだ早いが、青空の先には濃く真っ白な雲が見え隠れしていた。
目を細めて太陽を見上げようとして、不意に自分の顔に影が落ちてきた。

「はい、さっきのお詫び。本当にごめんね」

「あ、ああ…悪いな」

少女がレモンティーの缶をあまりに無造作に差し出すから、ルルーシュも思わずそれを受け取ってしまった。

(しまった。これじゃあ、許したことになるじゃないか!)

しかし、まあいいかと思い直しプルタブを引いた。
朝から不愉快なことばかりで、喉が乾いていたのだ。

(…だから、別に絆された訳じゃないんだからなっ)

少女も自分の隣に座り、ミルクティーの缶を空けようとしていたが、爪が引っかからずに苦戦しているようだっ た。
見かねて、とうとう口を出してしまった。

「…貸してみろ」

「え?」

返事は待たずに、手を伸ばして彼女の持つ缶のプルタブを引く。
プシュ、と気の抜ける音が小さく鳴った。

「わあ、ありがとう!…えっと、」

「…ルルーシュだ。ルルーシュ・ランペルージ」

「そっか!ありがとう、ルルーシュ」

いきなりファーストネーム呼び捨てか。
少しばかり面食らったが、そこは流すことにした。
この少女の一挙一動に付き合っていたら、疲れるだけだと学習したのだ。

「僕は枢木スザクだよ。よろしくね」

「ああ」

よろしくするつもりは毛頭なかったが、適当に相槌を打った。
その方がきっと面倒は少ない。
そう思ったが、何故かスザクは心底嬉しそうに破顔一笑した。

「えへへ、授業サボっちゃったねー」

「そう、だな」

ふと思ったが、彼女の制服には見覚えがない。
見たところスザクは日本人のようだし、この租界付近の高校ではないはずだ。

「なあ、スザクはどこへ行く気だったんだ?」

「ん?学校だよー。でも僕迷子だなぁ、今。あはは」

「迷子って…」

彼女なりの冗談なのかと図りかねていると、スザクはへらりとだらしなく笑った。
この少女が相手だと、どうも調子がおかしくなる。

「でも大丈夫、迷子はもう解決したからさ」

「はぁ?まあ、解決したなら良い…のか?」

「うん。でもね、僕もう一つ困ったことがあってさ」

「なんだ」

収まりかけた苛立ちが沸々と再燃してくる。
スザクは一つ問題があると言ったが、ルルーシュは今、一つどころではなく困っている。
救済措置を下すなら、間違いなく自分を先にすべきだと胸を張って言える。
そんなルルーシュの気持ちを知ってか知らずか、スザクはぐいっと化粧気のない顔をルルーシュへと近づけてき た。

(ああ、だから女は嫌いなんだ)

図々しくて我儘で傲慢で、その笑顔が武器になると心得ていてあえて振りかざす。
まさに、眼前の少女そのものだ。
ゆらゆらと、視界の端で立ち葵が揺らめく。







































「僕と付き合ってよ、ルルーシュ。ルルーシュのこと好きになっちゃったんだ」







































少女は早咲きの向日葵のように、眩しく思えるほど明るく笑った。
ありえない、と単語だけが頭を廻るが、それを口にすることは出来なかった。
開こうとした唇は、仄かにミルクティーの香る彼女のそれで塞がれてしまった。
厚みのある唇は、信じらんないほど柔らかい。

ほんの一瞬だったが、色々と常識外れなスザクでもキスをする時は目を瞑るんだな、とどうでもいいことを考え ていた。
唇が離れた時、頬を上気させた少女に、どうしようもなく腹が立った。

「おまえ、もう二度と会わない相手に何をしてるんだ!」

「会えるよ、毎日」

「…っ、ふざけるな!!」

この期に及んでからかうような口調を改めないスザクに苛立ち、とうとう声を荒げてベンチを立ち上がった。
甘くベタつく唇を拳で拭い、そのまま学校の方角へ足を向ける。
レモンティーの空き缶は乱暴にゴミ箱に放り込んだ。
もう、こんな訳のわからない人間には付き合っていられないと思ったのだ。
これ以上スザクと一緒にいるくらいなら、学校に行った方がマシだった。

「ついてくるな!」

「…だって」

「だってじゃないっ。さっさと自分の学校に戻れ!!」

慌てたようにスザクは後に続いたが、ルルーシュは振り返ってそれを一喝する。
それに傷付いた素振りはなかったが、不服そうにむっと頬を膨らませた。

「僕、迷子だって言ったでしょ。それで、ルルーシュは、アッシュフォード学園の生徒なんでしょう?その制服は知ってるよ」

「だったらなんだ。言っておくが、学校にまでついてきたら容赦しないからな」

「でも僕、アッシュフォードの生徒だもん」

スザクの言った意味が解らず、一瞬フリーズした。
いっそ、シャットダウンしてやりたい。
この際、強制終了で構わないから、誰かにこの状況を打破してほしいとすら思った。

「………は?」

「もう、聞いてなかったの?言ったじゃない、毎日会えるよって!」

「え、いや待て、だって制服が…」

「ああこれ?セーラー服は前の学校のやつなんだ。まだ制服間に合わなくてさ」

本当は今日が転校初日だったんだけどな、とスザクは恥じらうようにはにかんだ。
そこは照れるところじゃないだろうと思ったが、それどころではない。
それどころではないことを、彼女は言ったのだ。

「…お、同じ学校だと…?」

「うん!だからよろしくね、ルルーシュ!僕、これって運命だと思うんだっ」

朗らかな少女の笑顔に反して、目の前が暗くなった。
スザクが持ったままのミルクティーの缶を見ると、嫌でも先程のキスが蘇る。
ぞっとするほど、甘ったるいくちづけだった。
知らず、吐き気が込み上げる。

(運命なんて、砂糖菓子のようなことを俺は信じない!)

だから、女なんて大嫌いなんだ!!!!

- fin -

2009/11/8