君がいない未来の世界で僕は幸せですか


運 命 論

君の言葉をエンドレスリピート。
だって、次に聴ける保証なんて、どこにもないから。

















































朝の学校はすこぶるつまらない。
だって、朝の華やかさ溢れる教室では、大好きなルルーシュに声を掛けることすら出来ないのだから。
スザクは退屈さを、いつものようにペリドットの目を瞑ってやり過ごす。

(あーあ。ルルーシュに会いたい。会いたいなぁ)

生徒会役員を務め成績もいたって良好で、いかにも優等生然としているが、ルルーシュは意外と遅刻魔だしサボ り魔だった。
そういえば、初めて会った時も平然と授業を放棄しようとしていたのだったと思い出す。
そんなことを考えているうちに、授業開始の時刻が迫っていた。
うっすら瞳を開けると、ちょうどルルーシュが教室に入ってくるところだった。
他の誰にも気付かれないように、そっと視線だけで追う。
彼は女が嫌いな癖に、擦れ違うクラスメイトには分け隔てなく挨拶をしていく。
猫を被るのだけは上得意らしい。
例外は、きっとスザクに対してだけだろう。
ルルーシュの席はスザクの席の奥にあるが、スザクの机を通る時だけは何も言わず素通りする。
それが特別目立たないのは、彼だけでなく他のクラスメイトも同様にスザクの存在などないかのように振る舞う からだ。

しかし、その朝は少しだけいつもと違った。
ルルーシュが、スザクの机の前で足を止める。
不思議に思って見上げた先で、紫水晶の瞳が躊躇いがちに揺らいでいた。

(あ、綺麗)

でもスザクに関われば、周りにやっかまれるのは明白だ。
ルルーシュにしてもそれは承知しているはずなのだからと、スザクは眉をほんの少し上げることだけで彼の視線 に応えた。
それでもルルーシュは動かない。
熟れた果実のような唇がふるりと震える様があまりに可憐で、思わず見惚れてしまう。
不機嫌そうに眉間に皺を刻む表情に、真っ赤な舌がちらりと覗くのは、なんだか淫靡ですらある。
不意に、ひたと視線が合わさる。
左胸が音を立てた。
そんなわずかなひとときが、まるで甘い蜜のように濃密で、スザクには周囲のノイズすらまったく聞こえなかっ た。

「…おは、よう」

しかしルルーシュのこぼした一言で、奔流のようなざわめきがスザクの耳に飛び込んでくる。
それが、いつもスザクが聞き流していた喧騒なのか、ルルーシュがクラスの異端児に声を掛けたことに教室が色 めき立ったざわめきなのか、俄には判断がつかなかった。
何十という視線が刺さっているように感じるのは、自意識過剰だと誰かに言って欲しい。
どうすれば良いのかも、スザクにはてんでわからない。

(なんで?)
(どうして?)
(どうして僕なんかに声を掛けたりしたの?)
(これに応えてしまえばルルーシュの立場は?)
(ああでも、応えなくても彼はきっと困るだろう)

内心パニックと言ってもいいほどの焦燥感にかられたスザクが大きく目を見開くと、不満げなルルーシュの瞳に ぶつかった。
それに促されるように、ぴんと背筋が伸びた。
狼狽えた事実などまるでなかったかのように、ぐっと口元を引き締めた。
それだけが、今のスザクにとってのプライドだったのだ。

「おはよう」

小さく確かにそれだけを吐き出す。
ほんの些細な挨拶だというのに、なんて難儀な一言だっただろうか。
しかしようやく返事をしたにも関わらず、ルルーシュは不機嫌な雰囲気を微塵も崩さずそのまま自分の席へ向か った。
それを合図に、ざわめきの波がゆっくり引いていく。
スザクも、未練がましくその背中を追うことはしない。

(あ、そういえば、)

何度も何度もルルーシュの声をリピートしてから、気付く。
この学校に来てから、誰かに挨拶されたのは初めてだった。









*









朝のルルーシュの一言をエンドレスリピートしているうちに、あっという間に帰りのホームルームになっていた 。
何やら浮ついた雰囲気だな、と思っていたら、どうやら今日は席替えを行うらしい。
あとひと月もすればどうせ夏休みなのに、と嘆息しながらも、スザクは長いものに巻かれるがままクジを引いた 。
自分の番号と黒板に書かれた数字を照らし合わせていく。
窓側一番うしろ。
相変わらず、クジ運だけは良いと自分でも呆れる。
黒板に書かれた数字を指で消し、代わりに自分の名前を書き入れた。
指先についた白墨の粉を払いながら振り向くと、教室の空気がわずかに硬くなった。

(まあ、僕の隣は嫌だよね)

いまだに腫れ物扱いを受けることにわずかな疲労を感じながらも、いくつかの視線も構わず鞄と荷物を持って席 を移動する。
腰を落ち着けると、頬杖をついて窓の奥を眺めた。

(よかった。でもこれで、僕の隣を嘆くのは一人ですむ)

夏が近い空は、青空と雲のコントラストが美しかった。
しばらくは席替えが終わるのをそうして待っていたが、なかなか席の移動が終わらない。
たかだか席替えにどうしてこんなに時間がかかるのかと思えば、教壇近くに数人の生徒がかたまっている。
見れば、そこで一人泣いている女子がいたのだ。
その瞬間、理解した。
彼女はスザクの隣を引き当てたのだろう。

(…くだらない)

自分の双眸が冷たくなるのを嫌というほど感じる。
かすかな諦念が苛立ちに変わるのにそう時間はかからず、ぎゅっと拳を丸めた。
いよいよ声高に泣き出した女子に、周囲も困惑するばかりだ。

(うるさいなぁ。別に隣の席になったからって、とって食べやしないのに)

じっと耐えるように目を瞑る。
どうせ、自分には何も出来ない。
結局、どこに行っても無力さは変わらない。
それならもう、こうして視界を閉ざす以外には何も残されていないのだ。
しばらくして少女の泣き声が途切れ、不自然なくらい教室が静まった。
凪のような一瞬に、スザクも思わず目を開けた。
カタリと椅子を引く音がして、視線もそのまま引き寄せられる。
驚いたことに、隣にはルルーシュがいた。

「…え?」

彼の手にはその席の番号が書かれたクジがある。
本来その席に座るべき女子生徒は、泣き止んだもののみっともなく目を腫らしたまま、前方の廊下側の席に移動 していた。
慌ててルルーシュを見ると、彼はスザクには一瞥もくれず黒板を眺めているだけだった。
毅然とした横顔に、何も言えなかった。
はっとするほど胸が痛くて、いつでも凜と前を向いていた顔を、スザクは初めて深く俯けてしまった。
耳と首筋と、それから体の右半分が、真夏の太陽を受けたように熱く痛む。
教室中の冷ややかな視線を浴びるより、一人の少女を泣かせるより、今の方がずっと胸が苦しかった。

そこから全員が着席するまではあっという間で、なんとなく居たたまれない雰囲気から逃れるように、ホームル ームもそこそこに解散した。
教室に残ったのは、スザクとルルーシュだけだった。

「………」

いつもなら、すぐに声を掛けるのに、今はそれすら出来ずにいる。
何を言えばいいのかわからないのだ。

謝ればいいのか(絶対に自分は悪くないけど)
可愛げなく強がればいいのか(助けてほしいなんて、思ってなかったと)
それとも素直に感謝すればいいのか(でもルルーシュは、きっとそれを望まない)

目眩がするほど考えても、答えは出ない。
沈黙が痛いのは多分お互い様で、音を上げたのはルルーシュだった。
黙って席を立つと、何も言わず鞄を肩に掛けた。
思わず、無防備な彼の手を掴んでしまった。
細いけれど男性的に骨ばったてのひらが、びくりと跳ねる。

「な、なんだ、」

その、ルルーシュらしくない困惑した表情に、自然と口元が緩んだ。
振りほどかれなかった手をぎゅっと握る。
今の状況に、正しい言葉はやっぱりまだ見つけられない。
だけど、

「えへへ、隣の席なんて、運命みたいだ」

同時に『正しい言葉』の必要も、スザクはもう感じない。
冗談めかして笑うと、ルルーシュも気が抜けたようにかすかに笑った…ように見えた。
彼が慌てて顔をそらしたせいで、よく見えなかったけど。

「…馬鹿が。俺は運命なんて信じてない」

ルルーシュは器用に指を解くと、振り向きもせずドアを目指した。
今度はスザクも何もせず、笑ったままその背中を見送った。
代わりに彼がドアを潜る瞬間、ぐっとお腹に力を入れた。

「また、明日!」

よく通る大きな声をぶつける。
予想通り、ルルーシュは振り向いてはくれなかったけど、小さな声で「ああ」と言ったのが聞こえた。
乱れない足音が遠のいていくのを聞きながら、ずるずると机に伏せた。
ひんやりとした机が、ほてった頬に気持ち良い。
「おはよう」と「また明日」を、大切なものに触れるように、声には出さず唇だけでそっとなぞってみた。

- fin -

2010/1/19