運命による過去と未来の相違について


運 命 論

今なら信じられるよ。
運命じゃなくて、君と僕の未来を。

















































「ルルーシュさ、最近どうしたんだよ?」

「…なんだ急に。別に、何も変わったことはないが?」

「嘘吐け。この間の席替えだって―――…」

この間、と言われて軽く頭痛がし、人差し指で額を押さえた。
失敗。失態。失策。
言いようはいくらでもあるが、あの行動が自分らしからぬことをルルーシュは充分に理解していた。
クラスメイトであり同じ生徒会に所属するリヴァルは、ルルーシュの性癖を知っている。
知った上で、変わらず「友人」として付き合ってくる稀有な人物だった。
これまで数多くの男性と関係を持ったが、自分は多分彼とだけは寝ないと思う。
つまりリヴァルの諌言は、そこそこの影響力があるのだが、今日は大人しく耳を傾ける気にはなれなかった。

「聞いてるかぁ、ルルーシュっ!」

「ああ、悪い聞いてない」

「おおい!」

しかし、リヴァルが言わんとしていることは嫌でもわかる。
先日、クラスで席替えがあった。
その進行を著しく妨げたのは、枢木スザクの存在だ。
彼女の隣の席に当たった女生徒が、「イレブンの隣は嫌だ」と、人目を憚ることなく泣き喚いたのだ。
仕方なしに、ルルーシュは彼女の手からクジを奪い、代わりに自分の引いた紙切れを押し付けた。
決して誰かを助けたかったわけじゃない。
大嫌いな女の醜い嗚咽を、あれ以上聞いているのに耐えられなかっただけだ。

「…ただの気紛れだよ」

「ふうん」

とんとんと書類の角を合わせながらそう言った。
夏休み前は生徒会の仕事が立て込む。
だからこそ昼休みにまで一年の役員が駆り出されているのだ。
リヴァルも口ではなく、さっさと手を動かして欲しいところだった。

「…あ、あのさルル。枢木さんて、どんな子なのかな?何か話とか、する?」

おずおずと声を掛けてきたのはシャーリーで、書類仕事の傍らこちらの会話が聞こえていたらしい。
興味本位というより、自分から声を掛けないことにを恥じるように眉が垂れていて、彼女の自責の念を表しているようだった。

「いや、彼女とは席が隣になっただけだ。わざわざ会話する必要性ないだろう?」

「うん…でも枢木さんてまだクラスに馴染めてないでしょ?夏休み前には私、声掛けてみようかなって思うんだけど…」

「やめとけよシャーリー!女子って言ってもイレブンだぞ!?あいつ無愛想だし感じ悪いじゃんか。しかも枢木って暴力事件がもとでこんな季節に転校してきたって噂だし、わざわざ関わることねーよ」

「そう、かな…?あの子、悪い人には見えないけど」

「例えそうだとしてもさ、…あいつ純血派の上級生に目つけられてるし、危ないんだって!」

焦ったように、リヴァルは彼女の言葉を否定する。
情報通のリヴァルは、ルルーシュにしてもシャーリーにしても、枢木スザクに関わることを良しとしないようだ。
多分に主観が混じってはいるが、それが彼なりの処世術であり優しさであり正義なのだろう。
一方、幸いとばかりにルルーシュは次の書類に取り掛かった。
ただ、イレブン。暴力事件。純血派。
不穏な単語がやけに耳にこびりつく。

「…うん。でも、確かに枢木さんの笑ったところって、誰もみたことないんだよね」

諦めのようなシャーリーの吐息が、透明な空気をわずかに濁らせた。
その言い訳めいた言葉を咎める人物も誰一人いなかった。

(笑ったことがない?)

しかしルルーシュは、それが誰の話か、一瞬理解出来なかった。 ルルーシュの知っている枢木スザクは、不愉快なくらい、よく笑う女だった。



















*



















恋に溺れたことなんてなかった。
だってずっと自分にはいらないものだと思っていた。
まだ夏になりきない朝には冷たすぎる水を、スザクは手に取った。
冷たさは、刺すような痛みに似ている。
そして羨ましいほど透き通っていた。

(僕もこんなふうに、正しく透明でいられたら良いのに)

洗面所の鏡に映る、情けない顔を見る。
ルルーシュの隣の席になってから、スザクは毎朝こうして自分と向かい合う。

(ダメだダメだダメだダメだ)
(これ以上ルルーシュに甘えちゃダメ)
(これ以上弱い自分を許しちゃダメ)
(これ以上、ルルーシュを好きになっちゃダメ)

今にも弱音を吐きそうな自分を叱咤して、冷水を叩きつけるようにして顔を洗う。
日に日に暑くなる季節だから、それはとても気持ち良かった。
くるくると丸まる前髪の先が、雫を含んで重たげに額に落ちてきた。

初めは軽い気持ちだったはず、と言い聞かせる。
彼の人を突き放す距離感とか、綺麗な顔とか声とか、そんな表面的なとこが気に入っただけ。
ただあの時は、自分の煩わしい屈託を解消する、手軽な相手が欲しかっただけ。
躊躇いがちな優しさとか、時々吐く憂いに満ちた溜息の理由とか、そんなところまで好きになるつもりはなかった。
こんなんじゃ今はもう、迂闊に触れることさえ出来やしない。

「…あーあ」

どうして日本人に生まれたのかとか、どうして自分は女なのかとか、そんな馬鹿みたいなことで自分を責めたりはしない。
そこまで弱いつもりはないし、何よりそれらに胸を張りたいと思うのだ。
例えばそれが虚勢であっても、それでも。
だけど、近くにいたらルルーシュにとって得になることなんて何一つない。

(そろそろ、諦める頃合いなのかもしれない)

いつの間にか深みにはまりすぎた想いに、思わず慄く。
この想いに溺れたくないし、彼の足を濡らしたくもない。
冷水を頭からかぶり、犬のように首を振った。
髪の毛にたっぷり含んだ水滴が弾ける。
首筋にも床にも雫が飛び散ったけど、今日は暑くなりそうだからそのうちすっかり乾くだろう。
スザクは濡れた床を素足で踏みしめた。



















*



















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From:シュナイゼル
Sub:明日は
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仕事が休みだからね、君の都合がつくなら私のマンションにおいで

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From:ジノ
Sub:せんぱーい
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ルルーシュ先輩、最近どうかした?最近ちっとも会えないから寂しいよー!(ノ△T)』

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From:コルチャック
Sub:待っているよ
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ここのところ暇が続いたから、そろそろチェスの遊び相手が欲しいのだが?

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From:馬鹿玉城
Sub:おい!!
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女に振られたからとりあえずおまえでヤらせろ!!

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放課後に携帯電話を確認すると、まるで責めるようなメールが立て続けに携帯のバイブを震わせていたようだ。
相手はすべて馴染みのセックスフレンドで、つまるところメールもその誘いだった。
逡巡したのち、ルルーシュは小さなボタンを親指で叩いた。









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To:シュナイゼル
Sub:Re:明日は
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すみませんが、今日は予定があるので行けません。
明日はゆっくり休んで下さい

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To:ジノ
Sub:Re:せんぱーい
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悪いな、今度埋め合わせするよ

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To:コルチャック
Sub:Re:待っているよ
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また今度伺います。 それまでには、是非チェスの腕も磨いておいて欲しいものですね

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To:馬鹿玉城
Sub:Re:おい!!
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死ね

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誘いには、すべて否と答えた。
なんとなくそんな気分になれないのだから仕方ない。

(最近は、ずっとこうだ)

考えてみれば半月以上、誰にも体を預けていない。
自分の性格と、何よりこの容姿のおかげで相手に苦労したことはなかったから、こんなに長く間が空いたのは初めてな気がした。
溜息をついて、携帯電話を電源を落とす。

「ルル、どうかした?なんか暗い顔してるよ」

不意に、シャーリーがルルーシュの顔を覗き込んだ。
気付いたら終礼は終わっていたようで、生徒はもうほとんど残っていなかった。
隣にいたはずのスザクの姿もすでにない。
見かねたシャーリーが声を掛けてくれたのだろう。

「…ん、いや別に」

「そう?まだ朝の続きあるから生徒会行かなきゃいけないけど、ちょっと気分転換でもしてきた方が良さそう。あ、でもサボっちゃダメだからね!」

兼部の水泳部に用事があるのか、「あとでね」と言い残して、シャーリーは手を振りながら慌ただしく教室を出て行った。
ぽつんと残されたルルーシュは、ふと窓の外を見上げた。
教室から空を見るのは久しぶりな気がする。
何故かを考えて、すぐに思い至る。
そこはいつもはスザクがいる場所だから、滅多に向かない方向なのだ。

(…良い天気だな)

夏らしい深い青がとても眩しくて綺麗だった。
しばらく空を眺めていると、シャーリーの言った言葉を思い出した。

「…確かに、気分転換が必要かもな」

その思いつきに少しだけ心が晴れたような気がして、どうせなら久しぶりに屋上に行こうと決めた。
今なら制服が皺になるのも厭わずに寝そべって、まっすぐに青空を見られる気がした。



















*



















スザクが教室を出る時、ルルーシュは女の子と話をしていた。
ルルーシュと同じ生徒会の、フェネットさんだ。
彼女はわかりやすいくらい、ルルーシュが好きだ。
彼を目で追っていれば、そんなことすぐにわかる。
お互い、報われない恋をしている。

(近くにいられるのと遠くから見つめるの、どっちの方が幸せなんだろうね?)

だけど、実らないから不毛な恋だとは言いたくない。
振り向いてもらえなくても、恋は恋だ。
煩わしいやっかみを避けて人目の少ない廊下を選ぶのは、もう癖になってしまった。
少しだけ早足で廊下を進む。
切ないとか寂しいとか、そんな感情をスピードで振り切るように。
大きく手を振ったその時、ぐっと後ろの腕を誰かに掴まれた。

「うわっ」

驚いて声を出すと、さらに両手で乱暴に腕を捻り上げられた。
混乱したせいで、一瞬だが抵抗するのが遅れた。
無理に捻れた肩が痛むが、本能的な恐怖にそれでも必死にもがいた。
触れた壁に爪を立てたが、どうにもならない。

「やだ、やめ、…!」

とっさに助けを呼ぼうとして、手で口を塞がれた。
そこで相手が複数だとようやく気付いて愕然とした。
思わず力が抜けたところで、思いきり空いている教室に引きずりこまれた。
カーテンは閉められ、電気も点いていないせいでひどく暗い教室だった。
わけもわからぬまま、後ろ手を紐のようなものできつく縛られる。
振り解こうと身じろぎをすると、相手はスザクを突き飛ばした。
勢いで壁に強く側頭部を打ち、そのままずるずると壁をつたうようにしてへたり込んでしまう。
頭を打ったせいか、視界がぐらぐらした。
それでも視線を上げれば、三人の生徒が下卑た嗤いを浮かべていた。
混乱はすっと冷えていく。
代わりに、反吐が出そうな嫌悪感が湧き上がってきた。

「…僕になんか用?」

相手の顔は三人とも知らない。
だけど、この目は知っている。

「おまえさ、イレブンのくせに何?その態度」

三人のうち、一人がそう言った。
そして三人が嗤う。
これは、人が人を蔑む目だ。
だから誰何は必要ない。
こんな馬鹿な奴らの名前なんて一生知らないままで良いのだから。

「別に用って訳でもねぇよ。猿には猿らしく、調教が必要だなって話しになったんだ」

「言っとくけど、助け呼ぼうとか考えるなよ。どうせ、おまえに関わろうなんて奴はいないんだなからな」

苛立ちで肺が焼け付く反面、悲しいくらいにその嘲笑が胸に刺さった。
最後の言葉が間違いではないと、誰よりもスザク自身が知っていた。
気丈に振る舞うのも、そろそろ限界なのかもしれない。
そもそも気丈なのではなく、きっとただの強がりだったのだ。
それに気付いた途端、ほっそりと伸びた首がうなだれた。
張りぼての虚勢が突き崩されて、スザクの中で音を立てて崩落していく。
一人がかがみこんで、スザクの虚ろになった顔を覗いて、夏服の薄い制服から短いスカートを舐めるように見た。

「まあ、イレブンの割に顔はマシな方だよな。胸もでかいし」

その一言で、彼らの目的を理解した。
それでも体は動かない。
動けないのではない。
スザクはもう俯いて諦めてしまった。
泣いても叫んでも、彼らの言う通り誰にも届かないだろう。
それならもう、心を奥まで麻痺させるしか手段はない。

「はは、そうだな」

「順番とかどうする?」

「あーもう面倒だから早くやっちまおうぜ。とりあえず、俺が言い出したんだから俺が先な」

それを合図に、スザクの剥き出しになった膝に汚い手が触れた。
他の二人が同時にスザクの口と足を拘束し、手持ち無沙汰なのか片手でネクタイを解きながら、スザクの胸元を乱して弄んだ。
膝に触れた手は、徐々に移動しながらゆったりと太腿を撫でる。
それがスカートの中に潜り込んでも、仕方ないと諦めたまま、スザクはされるがままだった。
心の細胞が死んでいくのに耐えるように、ぎゅっと目を閉じることしか出来ない。
瞼をそっと伏せようとしたその時、一条の眩しさが視界を裂いた。
もう二度と開かないと思っていた扉が、勢い良く開いたのだ。



















*



















ひんやりと暗い廊下を歩きながら、ルルーシュは女というものについて考えてみた。
溶けかけの飴玉のように甘くてベタベタして、触れたら自分の手が腐りそうだし、耳が痛くなる高い声も、脈絡なく飛ぶ話題も不可解で、とにかく気に障る。
柔らかい肉塊も非力さも細い骨格も、ただただ気味が悪い。
その上欲が深くて浅ましく狡猾で、無邪気な顔を装いながらも恐ろしく陰険だ。
群れる性質も頭の悪さも理解が及ばない。
唯一の例外は妹だけだが、彼女は性別が天使なのでルルーシュの言う"女"にはカテゴライズされない。

(…やっぱり、好きにはなれないな)

では枢木スザクはどうなのか。
嫌悪感とは違う、何かは感じている。
悔しいがそれは認める。
だが、だからと言って恋愛対象かと問われれば答えはNOだ。
ルルーシュにとって、そもそも恋愛がわからない。
ただスザクを見ていると、彼女に初めて会った時の風景を思い出す。
嫌でも目に焼き付くほど鮮やかな立葵が、誰もいない道端で咲いていた。
頑なで、痛々しいくらいにまっすぐだった。

(馬鹿馬鹿しい)

ルルーシュは軽く頭を降って、染みるような濃いマゼンタを振り払った。
立葵の季節はじきに終わる。
瑞々しい端も、大輪の花も、すぐに枯れていくだろう。
溜息は静寂に溶けていく。
空が見たいと強く思った。
あの赤い色を忘れるほどの青に、身を晒したかった。
屋上に行くにはこの人気のない廊下が一番近道だった。
授業カリキュラムの整理のため、いまはあまり使用されない教室ばかりが集まっている区画だ。
その静かなはずのこの廊下で、わずかな違和感を感じる。
初夏の放課後の、いたって平穏な静寂に混じる不穏な空気。
嫌な胸騒ぎがして、必死にそれを肌で探った。

























―――…イレブンの…くせに――。

――…猿には猿らしく、………が必要だなっ…――たんだ。

――……どうせ、おまえに関わろうなんて…いないんだなからな――。

























わずかに聞き取ったいくつかの単語に、さっと血の気が引いた。
朝のリヴァルの話を思い出す。

『純血派の上級生に目つけられてるし』

それが、誰の話だったか。
振り払っても振り払ってもちらつく笑顔が、また脳裏をよぎる。
明晰さを誇る頭より先に、竦みそうな足が動いた。
声のした教室に、ルルーシュは迷わず飛び込んだ。



















*



















「何をしてるんだおまえたちっ!!」

光だ、とスザクは思った。白い光の先には、

「………る、」

ルルーシュが、いた。
とうに枯れたと思っていた涙が唐突にこみ上げる。
ルルーシュはスザクを目に留めると、驚きに目をみはった。
酷く傷ついたような顔をしてスザクを見ていた。
けれど驚いたのは当然彼だけではない。

「ランペルージ…っ!」

「…っ!!早く枢木を離せっ!とにかく貴様らには事情を聞く必要がある!三人とも立つんだ!」

冷たさを感じる容姿からはとても想像できないほどの激昂だった。
スザクを含めた全員が、思わず身を竦めるほどに。
それにルルーシュは生徒会役員だ。
スザクに乱暴を働いた生徒も、一番まずい相手に見られたことを反射で理解しただろう。
でもそんな薄っぺらい権力は、この場で何の役にも立たない。
一人が立ち上がった時、スザクはそれを確信した。
彼がルルーシュを見る目は、もう理性なんて欠片も残っていなかった。

「うるさいうるさい!!悪いのは全部このイレブンの雌豚だ!邪魔するならおまえも、…!!」

拳を振り上げて、そのままルルーシュに向かっていく。
ぷつん。
スザクの頭の中で、細く張りつめていた糸が弾けるように切れた。

邪魔なものはすべて振り払った。
腕を拘束する紐も、汚い手も、、臆病な両足も、弱虫な心も、なりふり構わず引きちぎった。
不意打ちだったルルーシュに、もう拳が届いてしまう。
彼を守りたい一心で、ほんの数歩分をただ無我夢中で駆けた。

「っルルーシュに、」

無意識なら、当然得手が出る。
完璧な踏み込みでスザクは跳んだ。
短いスカートがひらりと翻る。

「触るなあぁぁあああっ!!!!!」

今までの人生で、一番綺麗な回し蹴りだった。
それを見事に相手の側頭部へ決めた。
宙で腰を捻って、それをさらに遠くへ蹴り飛ばす。

「がっふ、ぁ!」

無様に倒れた男と違い、スザクは優雅に着地した。
自分の中に、まだこんなに怒る力があったことに驚いた。
手を伸ばしてルルーシュを背に庇いながら、三人を見下ろした。
反撃か撤退か、相手の顔にわずかな逡巡が走る。

「早くそいつ抱えて出てってね。僕、すごく強いよ?」

牽制は花の咲くような笑顔で。
残った彼らは言われた通りに、泡を吹いて気を失っていた一人を抱えて教室を出て行った。
バタバタと乱れた足音が遠ざかり、一気に足の力が抜ける。
張り詰めた糸が切れたように、スザクはペタリと床にへたり込んだ。
後ろにいるルルーシュを振り返るのが何よりも怖かった。

「…大丈夫か?」

気遣わしげな声が聞こえて、なんだかまた泣きそうだった。
だけど喉まで込み上げた涙をぐっと飲み込んで、ことさら明るい顔で振り向いた。
「あ…あはは、またやっちゃった!僕なら見ての通り大丈夫っ。
でも良かったね、多分僕また転校することになるから、 もうルルーシュが嫌な思いをすることもなくなるよ!なんか、ごめんね今日も僕のせいで、」

ペラペラと勝手に口が動く。
そして同時に、厳しくも傲慢な父の顔がよぎる。
転校した先でまたこんな事件を起こしたなら、もうこの学園にはいさせてはくれないだろう。
もしかしたら"転校"すら出来ないかもしれない。
これからは父の目の届くところに軟禁されて、一生自由にはなれないかもしれない。
考えただけでぞっとする。
だけど、これは自業自得なのだ。
ルルーシュを好きになった自分が悪い。

「―――ごめんね、今まで」

小さな声で呟くと、ルルーシュは俯いて深く長い溜息をついた。
ナイフで胸をすうっと撫でられるような痛みだった。
スザクはその重い沈黙に押しつぶされそうになる。
けれどようやく向けられた彼の顔に浮かぶのは、諦念が滲む美しい微笑だった。
はっとするほど儚く淡い、スザクが初めて見る優しい表情をしていた。

「…俺の負けだよ、スザク」

「負け?」

「ああ。好きだよ、スザク、俺は、おまえが」

言ってから可笑しくなったのか、ルルーシュは堪えるようにくっくと喉で笑った。

(ああ、確かに、笑える。だってだって、そんなの不可能だ。ルルーシュは女の子なんて好きにならない。僕なんて、絶対好きになんてならない。ならないんだから)

思わずスザクが瞠目すると、ルルーシュは笑いを収めてアメジストのような目を鋭くした。
嘘だ嘘だと頭の中でガンガン警鐘がなるのに、真っ直ぐなルルーシュの視線に貫かれて思わず頷いた。
白をも黒にする、強い眼差しだ。
その視線だけで、スザクはルルーシュの言葉が嘘じゃないと信じられた。
無理矢理顔に張り付けた虚勢が今にも崩れそうで、押し込んだ涙さえ今にも逆流しそうだった。
溢れそうな感情をすべて抱きしめて、精一杯笑った。

「ほら、だから言ったでしょ?運命だって」

茶化したつもりだったのに、留めきれなかった涙が一粒頬を転がった。
ルルーシュはそれを指で不器用に拭いながら、ふんと鼻で笑った。

「それは間違っているぞスザク。俺は、運命なんかに膝を折ってない」

「…?」

「俺が屈したのは、おまえにだ」

彼は傲然と胸を張って、敗北の意味を答えた。
そのコントラストが可笑しいのと気障な台詞が恥ずかしいのとで、スザクは笑った。
けけど、一抹の淋しさがスザクの胸を塞ぐ。
想いが通じたとして、どうにもできないこともあるのだ。

「…だけど、ごめんね。僕はもう、きっとこの学園にはいられない」

切なさに眉を寄せてそう告げると、ルルーシュはニヤリと悪い笑みを唇に乗せた。
その自信に満ちた態度が解せなくて、スザクはきょとんと首を傾げた。

「はっ、おまえは俺を誰だと思っているんだ?この学園の生徒会副会長だぞ?」

俺にできないことはない、とルルーシュは悪魔のような顔で笑った。
そして端正な唇から紡がれる言葉に、スザクはただただ呆然とするしかなかった。

「そもそも枢木スザクが転校する理由がどこにある? 今日あったのは、純血派の偏った差別主義グループによる" か弱い"女生徒に対する暴行未遂で、その証言者は品行方正な生徒会副会長のルルーシュ・ランペルージだ。 頭の怪我は、逃げる途中で階段からでも落ちたんだろう。 …というかあいつらは自首するからな、わざわざ疑う奴もいないさ」

「自首って…、そんなのする訳が…っ、」

「ふん、馬鹿が。だから、今からあいつらの弱味を握りに行くんだよ。…ただ、これは俺の筋書きだ。―――おまえは、どうしたい?」

問いながら、ルルーシュはその手を差し出した。
ルルーシュは、ずるい。
そんなに美味しい道を示しておいて、いまさらスザクがルルーシュと離れる選択なんて出来るはずがないのに。
そんな問い掛けは卑怯だ。それに。

(わくわくする、なんて、)

胸の高鳴りが、止まない。
心臓が痛いくらい熱い。
興奮で頬が紅潮していくのを確かに感じた。
ルルーシュと一緒なら、何だって出来ると強く思える。

「僕は行くよ」

スザクはスカートの埃を払って立ち上がった。
そしてにっと笑ってルルーシュの手をとった。
不意を突かれてばかりじゃあまり面白くない。
今まで散々偉そうにしてたくせに、指先が触れただけで慌てふためくルルーシュが可笑しくて仕方なかった。
手を繋いだまま、ルルーシュを引っ張るようにして二人で駆けた。
体力のないルルーシュはすぐに足をもつれさせ、息を乱した。

「あと、おまえ、生徒会に入れっ。うちは部活動に所属する、はあ、決まりだから…な!」

それでも彼は絶え絶えになる呼吸を押し殺して、言った。
放課後、スザクはいつもひとりだった。
寂しくはなかったけど、楽しくもない毎日だった。
ルルーシュは、その日々に色をくれようとしている。
もう、ひとりにならなくて良いと、言われた気がした。
声を出すと嗚咽になりそうで、だから返事をする代わりに繋いだ手にぎゅっと力を込めた。
けれどルルーシュは必死すぎてそのことにも気付かないようだった。

「夏休みも、学園祭の準備があるんだからなっ。忙しいんだ!大体会長の悪ふざけも手に負えないし、 今年もイベントの予定がたくさん、…たくさんあるんだっ、祭りとか海とか、花火とか! お、俺だけじゃ付き合いきれないから、おまえも手伝えっ!!」

校舎を抜けて、青空の下に出た。
真っ白な入道雲が視線の先に見える。
夏が、来る。
ただそれだけのことが、涙が出るほど嬉しかった。









































ああ、神様。

本当は僕も運命なんて信じていないんです。

だって例えばこの先ルルーシュと離れ離れになることがあるとして、それが運命なら、僕は負けない。

運命なんかより、ずっともっとルルーシュが大切だもの。









































繋いだ手にさらに力を込めた。
二人のてのひらの熱さだけがすべてで、確かだった。
夏の眩しさに、スザクは目を細めた。

「うん!楽しみだねっ!!」

- fin -

2011/5/17

結論。二人でいれば運命にだって負けない。