星座を置き去りにした真昼のベッド


運 命 論




「今日は一段と暑くなるでしょう。熱中症にはご注意下さい」

















































天気予報が読みあげられるのと、耳に残る蝉の声を同時に聞きながら、ルルーシュは無心に生クリームを泡立てていた。
スザクと付き合って、今日でちょうど一ヶ月がたった。
午後には部屋にスザクが来る約束をしている。
だから朝から、初めての記念日のためにケーキを焼いていたのだ。
恋人と言える恋人が今までいなかったから当然ではあるが、こんなことをするのは生まれて初めてだった。

このひと月、お互い戸惑いながら、躊躇いながら、触れ合ってきた。
それだけではなく、スザクは生徒会役員として夏休みから仕事にも参加し、友達と呼べる関係も少しずつ築いているし、ルルーシュ以外の前でも笑顔を見せるようになった。
ルルーシュも今までの乱れた関係を清算して、スザクをとても大切に想っている。
彼女の芯の強かさ、しなやかさは、隣ににいるルルーシュの胸をいつもうつ。

(キスも、覚えた)

昨日の別れ際の、触れ合うだけのくちづけを思い出して、じんわりと胸があたたかくなった。
二人の気持ちが繋がることで、ルルーシュ自身を含めて、多くのことが良い方向へと転じたように思う。

(…だけど)

ルルーシュの、否、正確に言えば二人の抱える問題を、ずっと先送りにしてきた。
自覚はあるし、当然スザクも気付いているだろう。
ただ、この関係を終わらせたくないがために、二人とも言い出せずにいたのだ。
クリームをかき混ぜていた手がわずかにに乱れ、ガシャガシャと不愉快な音を鳴らす。
集中力が切れたのか、気にかけてもいなかった音声がやけに耳についた。

「…最下位は、ごめんなさいっ、射手座のあなた!今日は家族や恋人とのスレ違いが決定的になってしまう日かも!素直に自分の気持ちを伝えると運勢アップですよ〜!ラッキーアイテムは…」

流したままのニュースから、余興のような占いが流れてきた。
ガシャンと大きな音を立てて、ボウルが手から滑り落ちる。
生クリームは半分くらい飛び散った。
作り直しは確実だが、拾う余裕もなくテレビを凝視していた。
射手座は、ルルーシュの星座だ。
ごくり、とルルーシュの細い喉が上下した。
軽薄な占いは、奇しくもルルーシュの悩みの核心をぐさりと突いていたのだ。




―――ルルーシュはまだスザクを、"女"を、抱くことが出来ないでいる。



















*



















「わあ、このケーキすごく美味しい!んー幸せっ」

「俺は天才だからな」

「あはははは!ねえねえ、これレモン入ってるの?」

「ああ、レモンカードだが…レモン、苦手だったか?」

「んーん、今日は暑いからサッパリするね。美味しくてほっぺ落ちそう!」

付き合ってから知ったが、スザクはとても美味しそうに食事をする。
今も、きらきらと目を輝かせて、一口ずつを大切そうに口に運んでいた。
自分が作ったケーキを、それは幸せそうにスザクは食べている。
不覚にも、可愛いと思ってしまった。

「…ベッドに座って食べるなよ。はしたないぞ」

「んふふ。いーの、かしこまって食べるより、こうやって食べる方が美味しいんだよ」

諦めてくすりと苦笑して、ルルーシュもスザクの隣に腰掛けた。
よく見ると口のはしにクリームをつけている。

「まったく…」

「…ん、」

親指で拭ってやると、むずがるように顔をしかめて、へらりとスザクは笑った。
そのままルルーシュの右手に手を重ね、頬に引き寄せた。
この血色が良く、とびきり柔らかいスザクの頬が好きだ。
けれど同時に、その頬の感触に触れていると、胸が雨に濡れたように冷たくなっていく。
二人はベッドで、唯一の家族である妹は明日まで従姉妹たちと出掛けている。
そして何よりスザクの濡れた瞳は、まっすぐにルルーシュを見つめていた。
キスの、その先を望む目だった。

わずかな嘔吐感を隠すように、ごくりと生唾を喉の奥へ追いやった。
覚悟したように右手を項へ滑らせて、ルルーシュはそっとキスをした。
キスがこんなに幸せな気持ちになることを、スザクが教えてくれたのだ。
それなのにドクドクと嫌な動機が止まらない。
冷たい汗がこめかみをつ、と伝った。
唇に吸い付きながら、スザクの方へゆっくりと重心を傾ける。
スザクは声を上げることもなく、されるがままベッドに仰向けになった。
顎を上げてせがまれたから、そのまま深くキスを続けた。
その合間に大きく息を吸って(かなり困難だったが)、呼吸を整えた。
スザクのタンクトップの裾に手を差し入れようとしたが、手が震えて上手く出来ない。
薄い夏服はひらりひらりとルルーシュの手から逃げていった。

(ああ、くそっ)

あんなに何度も抱かれたのに、同じように出来ないはずがないのに、スザクが好きなのに、"女"が相手だというだけで、どうしても思うように手が動いてくれない。
もどかしくて涙が出そうだった。
手は止めたまま、誤魔化すようにスザクの頬や耳にくちづける。
その時クスクスとスザクが笑うのが聞こえた。

「ねえルルーシュ、初めてキスした時もレモンの味がしたの覚えてる?」

「え…ああ、あの時はおまえがレモンティーを飲んでたから…」

戸惑いながら答えると、スザクはまた「ふふふ」と大きく笑った。
そしてすっとルルーシュの首筋に腕を絡めてきた。
楽しげで、とても悪戯げなエメラルドと目が合った。

「えへへ」

ことさら可愛らしく首を傾げると、絡めた腕に思いきり力を込めた。

「ほわあっ!」

ぐるりと視界が反転する。
ベッドでは見慣れた風景がそこから見えた。
いつの間にか、二人の両手の指がしっかりと交わっていた。
いきなり何をするのかと抗議の声を上げようとして、文字通り口を塞がれる。
スザクがイニシアチブを握ったキスは、さっきまでのキスよりずっと情熱的で深くてしつこかった。
舌の先の感覚がなくなるほど強く吸うのだ。

「ん、ん、あふ、んーっ!!」

足をばたつかせて精一杯の意思表示をして、ようやくスザクはルルーシュを解放した。
ルルーシュの腰に勇ましく跨ったまま、スザクはペロリと自分の唇を舐めた。

「お、おまっ、何…っ!」

「そういえば僕、蟹座なんだけど」

「は?それは知ってるがいいからとにかくそこを降りろ!」

「で、今朝の星座占いで一位だったんだよね!やったね!」

「おまえはその無駄な胸の脂肪が重いんだよ!揺するな!跳ねるな!…それは射手座が最下位のやつか?」

「そうそう!ルルーシュご愁傷様!それでね、蟹座のポイントは"押してもダメなら押し倒せ"…だって☆」

「だからって文字通り押し倒す奴がいるか!!あと射手座の扱いがすごく腹立たしいぞおまえ!」

スザクは人の腰の上ではしゃぎながら、抜かりなくルルーシュのボタンを外していく。

「スザク!おい、おまえ何する…」

「セックス、するんだよ」

「だ、だって…」

妖しく舌なめずりした直後に、晴れやかな顔で眩しく笑った。
紛れもなく、それは捕食者の目だった。

「大丈夫、僕にまっかせて!」

ルルーシュの絶叫とともに、世界は暗転した。



















*



















「ね、どうだった?」

「…………………」

ピロートークには不釣り合いなほど明るい声でスザクは問う。
それを訊くのはマナー違反というか情緒がないというか、反論したいことは色々とあったが、枕に顔をうずめたままルルーシュはぐったりと何も答えずにいた。
何がおかしいのか、スザクは楽しそうに一人で鼻歌まで歌っていた。
その騒がしさに、やはり女に賢者タイムはないのだな、とルルーシュは改めて不思議な感慨をもちつつ下手な鼻歌に耳を傾けた。
逆に男の性かルルーシュはみるみるうちに思考が冷静になってきた。

(抱かれたのか、俺が…)

男と女がベッドで繋がったというのに、先程の『それ』はそうとしか言い表せなかった。
思い出すだけで、羞恥と後悔と情けなさと、その他諸々の感情で死にたくなってくる。
気持ち良くなかったわけじゃない。
むしろ、気持ち良すぎて苦しくて怖いくらいだった。
今も爪先に至る身体の隅々まで、抜けきらない快楽の充足感で満ちている。
唯一、胸のつかえがだけが取りのぞけないままだ。
不安で冷える心臓が張り裂けそうだった。
うつぶせた顔を枕に強く押し当て、歯を食いしばった。
気付くと、暢気なスザクの鼻歌が止んでいた。
ごろりと転がって、スザクの肩がぶつかってきた。

「…ルルーシュ、泣かないでよ」

「泣いてない…」

嘘だ。本当は少しだけ涙が滲んでいて、余計に顔が上げられなかった。
それでもぴたりとくっついた肩の温かさに少しだけ安堵して、恐る恐る言わなければならない言葉を絞り出した。

「…ぁ、呆れたか?呆れた、だろう。男のくせに、こんなで、」

嗚咽のせいで声が震えた。
顔を上げられないのは、スザクの顔が見られないからだ。
本当は、優しく触ってあげたかった。
お姫様みたいに扱ってあげたかった。
泣けるほど気持ちが良いと、自分ではなく彼女の口から言わせてあげたかった。
たったそれだけのことがどうしても、どうしても、出来なかった。

「………ごめん」

情けなくて歯痒くて悔しくて恥ずかしくて、でもそれ以上に怖かった。
見限られてしまっただろうか、軽蔑されただろうかと考えるだけで堪らなかった。
誰かを好きになるのはこんなに苦しくて、その絶望が純粋すぎて怖い。

「…嫌いに、ならないでくれ」

ずっと、それだけが怖かった。スザクに見捨てられたくない。
それだけで、薄っぺらい自尊心はぐしゃぐしゃに丸めて捨てられた。
一旦矜持を手離すと、今度ことボロボロと涙がこぼれた。
体勢を崩してスザクをまっすぐ見つめると、翡翠色の目を呆然と見開いて顎を落とす、少々間抜けな顔が歪んだ涙越しでもはっきりと見えた。

「うわ、やばい今のぐっときた」

「…は?」

「やだーもう!なんか!なんで!なんか!!いまさら僕まで照れてきたーっ!!ルルーシュのバカぁ、嫌いになんてなるわけっていうか何その可愛さすげー反則っ!!!!!」

「おいスザク…?」

行為の最中から余裕を浮かべていた顔が、一瞬で燃えるように赤くなった。
見ないで、と早口に叫び勢いづいてシーツに顔を埋めてしまう。
ルルーシュはスザクの剣幕に驚いて、そのうっすら朱ののぼった首筋を見守るしかない。
つい先程までと、真逆の格好になる。

「………僕、ルルーシュのこと好き」

「え、あ、まあそれは俺も…」

「好き好き好き!だいっすき!」

「…ありがとう、俺も、スザクが好きだよ」

例え恋人いない歴イコールが年齢であっても、ルルーシュは最愛の妹に愛の言葉を惜しんでこなかったから、この手の応酬はお手の物だ。
ただ、妹に伝える時より胸がむず痒くて、自然と少しだけはにかんだ。
スザクの感情の機微はわからなかったが、拗ねたような仕草が何故か可愛く感じられて、柔らかな彼女の髪を撫でる。

「…それだけじゃ、ダメ?」

不意に視線だけを上げたスザクと目が合った。
とても真剣で、どこか臆していた胸のうちを突くような眼差しだった。
頬にそっと触れるように、スザクの手が伸ばされた。

「僕はルルーシュが好きで、ルルーシュが僕を好きなら、それだけでいい。男とか女とか、そんなことどうだっていいんだ」

「す、ざ、」

「ルルーシュが抱けないなら僕が抱くから」

「…っ、」

「自分に嘘ついたりなんて、しなくていいんだよ」

「…ああ」

途中から、スザクの指も声も震えていた。
怖がっていたのは、きっとルルーシュだけじゃなかった。
華奢な指を握り、そのまま強く抱きしめた。
細い骨格に腕が沈んだ。
柔らかくて、自分の知る誰の肌とも違う。
大嫌いな女の肌だった。
でも、大好きなスザクの匂いがした。 それだけでこんなにも愛しい。
スザクの腕がぎゅっと背中にしがみついてきた。

「…ルルーシュ、もう一回だけ聞かせて。ねえ、気持ち良かった?」

運命なんて信じないが、安っぽい星座占いの陳腐な助言なら、少しは耳を貸してやってもいいと今なら思う。
朝のニュースで見たはずのラッキーアイテムはどうしても思い出せなかったけれど、きっと今以上のハ ッピーはないはずだと確信できた。
何故だか笑い出すのを止められない。
愛が溢れるのを感じながら、ルルーシュは手放しで素直に叫んだ。






















































「ああ、あんなに気持ち良いセックスは初めてだった!」





- fin -

2011/07/10

男とか女とか、二人でいればどうだっていいじゃない!